東洋はり医学会誕生まで

明治に至り漢方は排斥され、鍼灸も科学化の名の下に伝統的な鍼灸術の本質を失いかけていましたが、昭和の初期、柳谷素霊(やなぎや それい)の「古典に還れ」に呼応した井上恵理(けいり)・岡部素道(そどう)・竹山晋一郎の各先生をはじめとする先駆者たちによって、昭和14年の「弥生会」において古典鍼灸が研究され、昭和16年、経絡治療として素難医学による古典鍼灸が復活しました。

福島 弘道先生
福島 弘道先生
昭和15年「東邦醫学」誌上に「臨床時に於ける脉診と経絡の関係に就いて」の岡部素道先生の論文が掲載され、これを読まれた福島弘道(こうどう)先生は脉診による鍼灸術の優秀性に啓発され、昭和16年5月、本会の前身である「盲人経絡治療研究会」を山下誠亮(せいすけ)先生を会長にして結成しました。

しかし、次第に戦争が激しくなり会員は疎開のため離散、やむなく休会することとなりました。終戦を迎え福島先生は疎開地の長野から、小里先生は山形から帰京し、昭和34年、会の再発足に着手しました。

当時、日鍼会の研究会が東京大学において開催され、両先生ともこれに出席しました。そこで高橋泉隆氏と巡り会い、経絡治療に対する志を同じくし、会の結成に高橋氏も参加することとなりました。昭和34年5月、鍼灸師に会の再発足への参加を呼びかけ、高橋秀行・里見豊也の両氏が加わって5人の視覚障害者の発起人によって「東京古典はり医学会」として発足しました。

5人の発起人

発起人である福島弘道・小里勝之・高橋泉隆・高橋秀行・里見豊也の5人の先生により会則を決定、会長に福島弘道、副会長に小里勝之、顧問に井上恵理・岡部素道・竹山晋一郎・本間祥白(しょうはく)、相談役に肥後基一(きいち)の各先生が就任しました。

第1回経絡大
第1回経絡大
その後「東洋はり研究会」に改名、1968年に現在の「東洋はり医学会」となりました。

「東洋はり医学会」となってからは、視覚障害者だけにとどまらず、会則を改正し、晴眼鍼灸師の入会を認め、本会はさらなる発展を遂げました。

本会は、経絡治療の普及啓蒙と真に病苦除去の実力ある臨床家を育成する経絡治療の学術団体です。

経絡治療を世界へ

1991年、海外支部第1号として米国ボストン支部誕生。これを機に、「経絡治療を世界の果まで展ばそう」という気運が高まり、1995年に故福島弘道初代会長の遺志と米国支部の強い要請により、第1回海外特別講習会「東洋はりセミナー」ボストン大会が開催されました。

本部より講師として、高井章博、柳下登志夫、高橋昇造、中田光亮の4人が渡米しました。

この海外特別講習会の成功により、その後、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニアの各大陸に海外支部が誕生し、支部活動がさらに発展しつつあります。

現在も本会は毎年講師を海外へ派遣し、2016年現在で通算49回にわたり、経絡治療を世界に向けて発信し続けています。

また、数年前より本会のイギリス支部のメンバーがアフリカのケニアで灸のボランティア活動を続けています。

2016年に、23年ぶりに日本で開催されるWFAS Tokyo/Tsukuba 2016には、国内外から大勢の参加者が見込まれます。

このまたとないチャンスを生かし、世界に日本鍼灸を正しく伝承するために、関係者が一致団結し、外圧に弱い行政や医学界が認識を改め、日本の鍼灸が正道に立ち帰り、発展することを念願して止みません。

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